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FIWCについて

FIWCとは、フレンズ国際ワークキャンプ(Friends International Work Camp)の略称です。
FIWCは現在、関東、東海、関西、広島、九州の委員会があり、本部支部の関係はなく、すべてが兄弟委員会でそれぞれの責任で活動を展開しています。
FIWCは一般市民、学生による非政府組織(NGO)であり、いかなる政治・宗教団体とも一切関係はありません。
ワークキャンプ運動は、第一次世界大戦後、戦争により荒廃した欧州でピエール・セレゾールによって提唱され、キリスト教フレンズ派の人達(クウェーカー教徒と呼ばれる)により「平和のための義勇軍」として始められ、それが第二次大戦後に、AFSC※(アメリカフレンズ奉仕団)の手によって日本にもたらされました。その後、水害被災地や、海外等でのキャンプを重ね、日本の独自の組織としてFIWCという名のもとにAFSCから1950年代に分離・独立しました。

※American Friends Service Committee 1947年ノーベル平和賞受賞

筑紫哲也さんが現役キャンパーに宛てた手紙

FIWC発足当時のエピソード、当時の社会状況が垣間見れます。

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キャンパーのみなさん
みなさんの活動の様子を知りました。大変ご苦労様です。と申上げると同時に、古いFIWCのメンバーとして『大変ありがとう』とお礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
震災発生以来、私がやっていることは、その大状況を外に伝えることで、それはそれで大事な仕事だと思っているのですが、昔の血が騒ぐというのでしょうか、直接被災した人たちのために何もできないことにいらいらしてきました。その状況は変らないのですが、そんななかで、かつて私が、かかわったFIWCの流れを汲む、未知の仲間たちががんばってくれていることを知って、勝手ながら救われた気持ちになっています。
そして、いろんなことが走馬灯のように甦ってきて、興奮が止まりませんでした。若いキャンパーには年寄りの昔話に聞えるでしょうが、少しばかり私の話に付き合って下さい。
第一に、FIWCができたころ、この国にはボランティアということばも概念もありませんでした。ワークキャンプというのが専制労働キャンプのように受取られ、説明に苦しみました。それより苦労したのは、世は(とくに学生。若者の間には)左翼、マルクス思想全盛時代、『それは個人的、自発的努力は問題解決には無効、それどころか問題を湖糊塗することで有害』ですという批判があり、その一方では、『自分たちは他人のため良いことをしでいるのだから。』とその社会的意味にほとんど関心のない慈善至上主義かおり、その間で私たちが自分かちの活動をどう位置付け、理論付けるかでした。
実は後者の考えに近かったのが、戦後すぐに日本で活動を始めたAFSC(ノーベル平和賞も受賞した立派な団体)で、私をふくめ初期キャンパーはそこ、に参加していたのですが、ある時、アメリカの本部から視察にやって来たおえらいさんと、私たち(主として私)との論争で、そういうちがいが顕在化し、それなら私たち"自前"でやろうということで発足したのがFIWCでした。
FはFriendの略。クエーカー教徒の自称※でもありますが、ワークキャンプという新しいものをこの国に持ち込んでくれたことをふくめ私たちが彼らに抱いた敬意と通常の意味(友だち)との二重の意味をこめて残したものです。A(アメリカ)の代りにJ(日本)とせず、当時それほど一般的ではなかったI(国際)を入れたことも、今からより返れば時代を先取りしていたと思います。
息の長い、そしてFIWCの独自性が発揮できるプロジェクトは何なのかぜひ現場の体験から発見してほしいものです。そして出来ることなら、私も加えて下さい。いつかみなさまとお目にかかる機会、いっしょに働ける機会があればと念じています。
みなさまの活躍に敬意を表しつつ。

一九九五年二月一五日

筑紫 哲也

原文を掲載いたしました。
※自称はフレンズ、クエーカーは他称。

FIWCの意味

Friends
本来の友達の意味に含め、フレンズ派から学んだ絶対平和主義(非暴力・良心的兵役拒否)の姿勢を引き継ぎたい気持ちから名づけました。
International
本来の国際の意味に含め、人種、国籍、宗教、思想が違えど、誰でも受け入れられる、一人ひとりとしての活動をしていきたい気持ちで使いはじめました。
Work Camp
一般的に言われる”ボランティア活動”よりも、ワークキャンプにこだわって活動していきます。

関東委員会

FIWCは設立以来、朝鮮人学校、スラム、開拓農村、身体障害治施設等の社会矛盾の凝集点と思われる所に出かけ、ワークキャンプを行うことで問題の解決を志向してきました。
その後ハンセン病療養所でのワークキャンプや、新たなテーマを求めて全国各地の福祉施設でのワークキヤンプを行いました。

韓国キャンプはじまる

73'年に韓国の炭洞再活園(ハンセン病定着村)でのワークキャンプを始めました。韓国で最初のワークキャンプを開くにあたり、日本側だけでなく、韓国の学生の参加も募ることになりました。その時、夏休みで帰省中のソウル大学の女子学生が協力を申し出て、友人知人、親類の学生に呼びかけました。たちまち17人が集まり、日本からも29人が参加して、第一回日韓合同ワークキャンプが開かれました。
定着村は、教会を中心に村が作られ、養豚や養鶏等で生計を立て、山奥など辺部な所に位置しておりその経済状態は悪いものでした。FIWCは韓国の大学生達と共同で幾つかの村に道路や豚舎や家を建設していきました。そんな中で86年にソウルの韓国外国語大学に「ハナ会」(ハナフェ、ハナは一つという意味)が誕生し、現在ではFIWC関東がハナヘと毎夏、韓国ワークキャンプを実施しています。

フィリピンキャンプはじまる

80年代後半あたりから、韓国内に百ヵ所を数える定着村は、養豚や養鶏等が軌道に乗り周辺の過疎化した農村より豊かな所が増えてきました。そんな折り韓国のメンバーから「今後は、韓日合同で東南アジアに行こう」という呼びかけがあり、94年にフィリピンのマニラ郊外にあるタラ村(ライ療養所の周辺にできた二万戸)で人ロセソサス調査のキャンプを実施、以後、毎年FIWC関東の主催で井戸掘り等のフィリピンワークキャンプが実施されています。

阪神大震災復興キャンプ

95年には阪神大震災が発生しFIWCは神戸市灘区の避難所である青陽東養護学校を中心に援助活動を何ヵ月もの間行いました。学生たちが試験期間中であったため真っ先に現地に駆けつけた人達はフリーターと呼ばれる人達でした。そして、それらの人達を交流の家を根拠地にして後方で支えたのは、社会人となった過去の参加者達でした。テレビの広告もあって約二百名の新しいメンバーが駆けつけました。人数が多すぎて混乱もありましたが、FIWCの40年の歴史の総力を挙げた活動でした。

中国キャンプのはじまり

01年、FIWC関西委員会の柳川義雄と韓国Peace Campのカンサンミンにより中国広東省清遠市楊坑(ヤンカン)村(ハンセン病快復村)にてワークキャンプが始められました。これは94年に韓国のメンバーから「今後は、韓日合同で東南アジアに行こう」という提案の実現のひとつでもあります。彼らが2002年2月第2回キャンプを同村で開催した際、FIWC関東委員会から西尾雄志(当時委員長)と原田燎太郎が参加。その後、西尾と原田はFIWC関東委員会としても中国ワークキャンプを開催することを決め、2002年11月、2003年2月と広東省潮州市嶺後(リンホウ村)にて2回のワークキャンプを開催しました。
その後、原田は大学卒業直後の03年4月よりリンホウ村にFIWC関東委員会中国キャンプ現地駐在員として住み込み、リンホウ村の地元の大学の学生をワークキャンプに呼び込み、彼らが自主的にワークキャンプを運営できるよう、現地の学生と共にワークキャンプ団体を設立します。
04年までにワークキャンプ数は7つにまでに増加し、資金・人材・情報をコーディネートするセンターが必要になったため、2004年8月、NGO 「家‐JIA」が設立されました。現在JIAは華南5省(広東、広西、湖南、湖北、海南)の55箇所のハンセン病快復村に広まり、年間延べ約2000名の中国の学生が活動を組織・参加しています。FIWC関西、関東、九州、東海はJIAと共催で毎年中国でキャンプを開催しています。

ネパールキャンプはじまる

ネパールワークキャンプは、パルパ郡の村々での01年にスタートします。垣見一雅さんの著書、「OKバジ/サンパティックカフェ出版」を一人のメンバーが読み、垣見さんに直接連絡したところから、話が進展しキャンプを始めることに。
垣見さんは、ネパールの山奥に単身で滞在しながら村々を直接自分の足で訪ねて回り、平等な判断で1円の支援金も無駄にすることなく村人に届けることを信条に活動しており、平成9年には村人たちの推薦によって、ネパール国王から勲章を授与され、平成16年には、村人たちが中心になって「OKバジ在ネパール10周年記念式典」が開かれ、1万人以上の人々が山奥の村々から何日も歩いてお祝いにかけつけたというほどに、村人からの信頼が厚い方です。
そういった垣見さんの姿勢に共感し、私たちは垣見さんコーディネートの元、大きなNGOの支援が入りにくい貧困の山奥の村々で、地元の青年団や村人と一緒に学校の立て直しを行ったり、トイレ設備を整えたりということを続けています。当初10名ほどでスタートしたキャンプも、ネパールの政情不安な時期を除き毎年春にキャンプを実施し、20名ほどの学生を中心としたキャンパーで村々に活気を届けています。
「単に学校が建つだけでなく、村に活気が入ることがとてもありがたい。村は、若者は出稼ぎに出てしまい、老人・女性・子供しかいない。そこへ日本の元気な若者が来てくれるだけで、みんながとても喜ぶのです」と、垣見さんからも評価いただいています。

片品村

09年~ 片品村 誠意製作中

ベトナム

2010年2月。ベトナムのハンセン病療養所を管轄する国立皮膚性病病院の院長より、是非ベトナムでも中国で行っているようなワークキャンプをやって欲しいとの話しがあり、西尾雄志が下見を行いました。その後、早稲田大学のQIAO-橋(ハンセン病支援学生NGO)のOGである高階まりこが、ベトナムキャンプに携わりたいと名乗りを上げました。
これまでに現地の障害者支援団体と協力し、2010年8月と2011年2月の2回、ベトナム北部でキャンプを開催しています。
現在は現地の団体の他、高階と中国で共にキャンプを行っていた中国人のビンビン・スーと宮原直紀が加わり、ベトナム・中国・日本のキャンパーによる三ヵ国合同キャンプを展開しています。これまで個人単位で行われてきたベトナムワークキャンプは、2011年5月よりFIWC関東委員会として活動していきます。

FIWC関東のモットー

  • 「言葉より行動を」
  • 「人と人とつながり」
  • 「よりよき社会の建設のために」
  • 「人間皆兄弟」

FIWC関東の慣習法

以下のような言葉が現在にも残されています。

  • 「この指とまれ」
  • 「いいだしっぺが責任を取る」
  • 「やりたい者がやる、やりたくない者はやらない。やりたい者はやりたくない者を強要しない。やりたくない者はやりたい者の足をひっぱらない。」
  • 「来る者を拒まず、去る者を追わず」
  • 「開かれた集団」
  • 「個人主義」
  • 「組織として特定の宗派、党派、団体と関係しない」
  • 「信条を持たないのが信条(組織として)」